歴史文化

わがまちの「円空仏」

円空は、江戸時代初期の布教造像僧で、12万体の造像を発願して諸国遊行の旅を続けながら、多数の特異な仏像を作りました。
1666年(寛文6年)頃、北海道にわたって2年ほど滞在し、割った丸木の面を巧みに生かした荒けずり彫法の素朴な仏像を道南各地に残しています。

円空は、江戸時代初期の布教造像僧で、12万体の造像を発願して諸国遊行の旅を続けながら、多数の特異な仏像を作りました。
1666年(寛文6年)頃、北海道にわたって2年ほど滞在し、割った丸木の面を巧みに生かした荒けずり彫法の素朴な仏像を道南各地に残しています。

氏子たちは、「研究者であっても原則的に調査には応じない」という態度を決めていましたが、昭和51年10月、町史編集のため特別に調査が実現し、町史として記録に残されました。
特に昭和40年に行われた北海道教育委員会の調査によると、木古内町に現存する3体は原型がほとんど破損されず立派に保存されており、「いずれも道内にあるもののうちで、すばらしいできばえの傑作である」ことが確認されています。(木古内町史から)

  • 佐女川神社 烏帽子、狩衣着衣(3枚)、桧造りの箱に安置
  • 西野神社 烏帽子、狩衣着衣(9枚)
  •  古泉神社 着衣なし